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福岡高等裁判所 昭和57年(う)579号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役六月に処する。

この裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、検察官が差し出した控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用し、これに対し次のとおり判断する。

所論は、要するに、原判決は、「被告人は、昭和五五年三月一二日、長崎県壱岐郡芦辺町諸吉本村触二、一七八番地七所在の自宅において、自己が居住し長崎県漁業協同組合連合会(代表者会長理事住江正三)が所有する木造瓦葺二階建一棟の床柱に手斧で切りつけて長さ約二一センチメートル、深さ約一・五センチメートルの傷をつけたほか、柱、床面など合計二〇か所を同様の方法で切損し、もつて前記連合会所有の建造物を損壊したものである。」との本件公訴事実に対し、前記建物(以下「本件建物」という。)については、昭和五〇年五月二日新築を登記原因とする同月一三日受付の建物表示登記、所有者を被告人とする同日受付の所有権保存登記、同月一二日設定を登記原因とし、極度額を金一五〇〇万円、債務者を被告人、根抵当権者を長崎県漁業協同組合連合会(以下「県漁連」という。)とそれぞれする同月一三日受付の根抵当権設定登記、昭和五二年一一月二八日長崎地方裁判所壱岐支部競売手続開始を登記原因とし、申立人を県漁連とする同月二九日受付の任意競売申立登記及び昭和五四年一一月二九日競落を登記原因とし、所有者を県漁連とする昭和五五年一月一四日受付の所有権移転登記が経由されているところ、債務者を被告人とし、根抵当権者を県漁連とする本件建物についての右根抵当権設定の契約が県漁連の詐欺による被告人の意思表示に基くものであるか否かについて、これを肯定する証人松永栄子及び被告人の原審公判廷における各供述はいずれも信用でき、これを否定する証人中村太郎、同岩永正人の原審公判廷における各供述はいずれも信用できないとし、かつ、信用できない被告人の原審公判廷における供述のみにより、被告人が県漁連に対し右の詐欺による意思表示の取消しをした事実を認定したうえで、「本件建物が刑法二六〇条前段にいう『他人ノ』建造物であるとの事実につき合理的疑いを容れない程度に証明があつたとはいえないので、結局本件公訴事実について証明がないことに帰する」として、被告人に対し無罪の言渡しをしたが、証人中村太郎、同岩永正人の右各供述にはいずれも信用性があり、これらに反する証人松永栄子及び被告人の右各供述にはいずれも信用性がなく、証人中村太郎、同岩永正人の右各供述に他の証拠を総合すると、本件公訴事実を優に肯認することができるから、原判決は、証拠の取捨選択とその価値判断を誤り、その結果事実を誤認したものであつて、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、従つて、原判決は破棄されるべきである、というのである。

そこで、検討するに、まず、原審並びに当審において取り調べた、後記の「(証拠の標目)」の項の各証拠によると、

1  県漁連は、その一業務として、長崎県内の漁業協同組合(以下「漁協」という。)から委託を受けて各漁協の生産出荷するあわびを販売しているが、その販売に当つては、一年を数期間に分けて、各期間の前に入札会を催し、各漁協ごとに、その期間中に生産予定の数値のあわびについて最高価格(キログラム当りの価格)の申込みをした取引業者との間で、売買契約を締結していた。そして、右入札会で、落札し、売買契約を締結した取引業者は、当該期間内のあわびの生産量が入札時の予定生産量より三〇パーセント増以上の場合には、三〇パーセント増の範囲内でこれを全部買い取らなければならないという取引慣行があつた。また、買取つたあわびの代金は、あわびを受取つた日から、五日以内に支払う約定であつた。

2  被告人は、昭和四五年ころから魚介類の販売業を営み、昭和四七年ころから県漁連の前記あわびの入札会に参加して、順調に利益をあげ、昭和四九年一二月ころ、右利益で、本件建物を自宅として新築した。昭和四九年度の被告人と県漁連とのあわびの取引額は約八、〇〇〇万円であつた。

3  被告人は、昭和五〇年三月一七日に開催された県漁連のあわびの入札会において、同年四月一日から同年六月三〇日までの間に生産される予定のあわびにつき、生月漁協の予定生産量一万一七〇〇キログラムを約三九五一万六〇〇〇円で、志々岐漁協の予定生産量約八〇〇〇キログラムを約二九六一万五〇〇〇円でそれぞれ落札し(合計約一万九七〇〇キログラム、約六九一三万一〇〇〇円)、県漁連との間で売買契約(以下「本件売買契約」という。)を締結した。右入札に当つて、被告人は、あわびの価格が例年のように四、五月には値上りし、十分利益があがるものと考え、当時の相場(クロ(雄)で一キログラム約三八〇〇円)より高い価格(クロで一キログラム約四二〇〇円)で落札した。

4  こうして、被告人は、本件売買契約に基き、同年四月一一日の志々岐漁協出荷分から逐次あわびを受取り販売したが、そのころ、生産地で凪が続いたことや、一般の不景気によつて、あわびの価格が暴落し、例年であればあわびの価格が上るはずの四月末になつてもその価格が上らず、あわびを販売すればするほど損失が増大するため、受取つたあわびを販売することができなくなり、籠に入れたまま海水中に吊して保管するあわびの量が増加する一方となつたので、同年五月二日ころ、県漁連北事務所所長岩永正人(以下「岩永」という。)に対し、取引はやめる、以後の出荷分は受取れない旨電話連絡したが、これに対する岩永の返答は、落札した以上受取る義務がある、放棄されては困る、という内容のものであつた。

5  以上の経過により、県漁連本部では、被告人との間の取引額も多額であることなどから、被告人に対するあわび売買代金債権を保全する措置を講ずる必要があると判断して、岩永及び債権保全担当考査役中村太郎(以下「中村」という。)の両名を壱岐の現地派遣することを決め、右両名は、同年五月一〇日被告人方で被告人及び被告人の妻松永栄子と交渉し、その席上、被告人は、県漁連に対する本件売買契約に基く代金債務額とそれ以外の県漁連に対する売買代金債務額(約五〇〇万円)との合計額が一億〇四一〇万円であることを確認したうえ、これを同年五月に七八〇万円、同年六月に一一四〇万円、同年七月に三八〇〇万円、同年八月に四六九〇万円という方法で分割して支払う旨の債務確認ならびに支払誓約書(以下「本件確認誓約書」という。)に署名押印して本件確認誓約書を作成し、更に、中村及び岩永の求めに応じて、右債権担保のため、被告人所有の本件建物(当時未登記)その他の不動産(前記松永栄子所有名義の不動産を含む。)について極度額一五〇〇万円の根抵当権を設定することを承諾し、その結果、本件建物等についての、債務者兼設定者を被告人とし、担保提供者を松永栄子とする同月一二日付の根抵当権設定契約書が作成され、これに基き、それまで未登記建物であつた本件建物について、同月二日の新築を登記原因とする同月一三日付の建物表示登記及び所有者を被告人とする同日(長崎地方法務局壱岐支局)受付(第一六一八号)の所有権保存登記が経由されるとともに、同日同支局受付第一六一九号をもつて、同月一二日の設定を登記原因とし、極度額を一五〇〇万円、債権の範囲を水産製品売買取引、手形割引取引、手形債権及び小切手債権、債務者を被告人、根抵当権者を県漁連とそれぞれする根抵当権設定登記が経由された。

6  本件売買契約に基くあわびの出荷は、同年六月三〇日まで続けられたが、被告人の期待に反して、あわびの市場価格は一向に上らず、被告人において本件確認誓約書に基くあわび代金を完済することができなかつたため、県漁連は、被告人及び連帯保証人である松永栄子らを被告として、長崎地方裁判所に対し、売掛代金請求の訴えを提起し、これが昭和五〇年(ワ)第三二七号事件として同裁判所に係属したところ、同裁判所は、同事件について、昭和五二年七月二九日、「一 被告らは、原告に対し連帯して、五、六九九万八、二二五円及びこれに対する昭和五〇年九月一日より完済まで年六分の割合による金員を支払え。二 原告その余の請求を棄却する。三 訴訟費用は、被告らの連帯負担とする。四 この判決は第一項にかぎり、仮に執行することができる。五 被告らにおいて二、〇〇〇万円の担保を供するときは、仮執行を免れることができる。」との判決の言渡しをし、同判決は、控訴されることなくして、そのまま確定した。

7  県漁連は、前記根抵当権設定契約に基き、同年一一月二八日ころ、長崎地方裁判所壱岐支部に対し、本件建物等についての任意競売の申立てをし、これにより、本件建物につき、同月二九日前同支局受付第八八五〇号をもつて、同月二八日の長崎地方裁判所壱岐支部競売手続開始を登記原因とし、申立人を県漁連とする任意競売申立登記が経由されたところ、県漁連は、同競売手続において、最高価である金六五〇万二〇〇〇円の競売申出をしたため、昭和五四年一一月二九日、右裁判所支部から、県漁連を競落人とする競落許可決定を受け、その代価を同裁判所支部に支払つた(これにより本件建物に対する所有権を取得した)うえ、本件建物につき、昭和五五年一月四日前同支局受付第三二一号をもつて、昭和五四年一一月二九日の競落を登記原因とし、所有者を県漁連とする所有権移転登記を経由し、更に、昭和五五年二月五日、右裁判所支部に対し、本件建物等の不動産についての引渡命令の申請をしたところ、同支部裁判官は、同月一三日、同支部執行官山口哲治に対し、本件建物等の不動産に対する被告人らの「各占有を解いて競落人長崎県漁業協同組合連合会にこれを引渡せ。」との不動産引渡命令を発した。

8  前記執行官は、右引渡命令正本による申立人県漁連の執行申立てに基き、その執行のため、同年三月一二日、本件建物にのぞみ、同建物玄関横八畳の間において、被告人らに対し、引渡しの目的物である本件建物等の引渡しの履行を勧告した。

以上の各事実を認めることができる。

次に、本件確認誓約書及び前記根抵当権設定契約書が作成された際の状況につき、原審公判廷において、被告人は、被告人及び妻栄子が本件確認誓約書及び右根抵当権設定契約書等に署名押印又は押印したのは、被告人及び妻栄子が「こんな(本件確認誓約書記載のような)金は払えませんよ。」と言つたのに対し、中村、岩永の両名から「これは形式的ですたい。」と言つて署名押印を求められたため、署名押印は形式だけのことで、その約定どおりの額の金員の支払を要求されたり、不履行の場合に根抵当権を実行されたりすることはないものと信じたからである、特に県漁連の人は被告人らから見れば上の人(偉い人)であるから言われたとおりにした旨供述し、証人松永栄子も、これにそう供述をしているのに対し、証人中村太郎は、被告人らの右署名押印に際して、被告人らに「これは形式的ですたい。」と言つたことはなく、根抵当権の趣旨を被告人らに説明し、債務不履行の場合は、根抵当権の実行までありうるということまで話をして本件建物等に根抵当権を設定するように求め、県漁連の実情を説明したら、被告人らはすんなり署名押印した旨供述し、証人岩永正人も、これにそう供述をしているところ、原判決は、その挙示する各関係証拠を総合して、原判示第二の一ないし九の各事実及び同第三の三の1の(一)ないし(三)の各事実を認定したうえ、同第三の三の2において、右各「事実から判断するに、(1)昭和五〇年五月一〇日現在現実に生じていた被告人の債務総額は約六二三〇万円であつた(ただし、有川漁協分を除く。)のに対し、中村、岩永の両名が被告人に署名押印を求めた本件確認誓約書記載の債務総額一億〇四一〇万円の大半を占めるのは、志々岐、生月各漁協分の合計約九〇三三万円(数量約二万二七六〇キログラム)であり、これは、本件売買契約における予定生産量約一万九七〇〇キログラム及びその代金額約六九一三万一〇〇〇円を、約三〇六〇キログラム、約二一二〇万円上回るものであるところ、被告人が同月二日頃に岩永に対してした、以後の出荷分は受取れない旨の電話連絡(本件売買契約の将来に向かつての解除)が法的に認められるかどうかは別として(前記長崎地方裁判所昭和五二年七月二九日判決は排斥した。)、このように昭和五〇年五月二日頃に以後の出荷分は受取れない旨の電話連絡をした被告人が、それにもかかわらず、その直後の同月一〇日に、前示のとおりたとえ予定生産量の三〇パーセント増の範囲内では全部買取らねばならないという取引慣行があつたにせよ、右のように予定生産量(したがつてその代金額)を大幅に上回る数量のあわびを買取ることを前提とした債務総額を容易に承認することは考え難いこと、(2)当時現実に生じていた約六、二三〇万円の債務が既に支払えない状態にあつたうえ、暴落したあわびの価格が近近回復する見込みはなく、しかも被告人が既に受取つた分の大部分を在庫として保管していたそのあわびも水温の上昇とともに斃死率が増大していくという状況にあつて、被告人も県漁連も、七、八月に台風が来て、あわびの価格が上がるのに期待する外はないという状態にありながら、本件確認誓約書の内容は、前示のとおり被告人は五月から八月までのわずか四か月の間に一億〇四一〇万円全額を弁済するというものであり、その実現の可能性には疑問があること、(3)根抵当権を設定した本件不動産及び譲渡担保を設定した大福丸は被告人及び妻栄子の全財産ともいうべきものであり、特に本件建物は、被告人が自己の家族の住居用に新築したばかりの建物であるから、証人中村太郎の当公判廷における供述の如く中村が債務不履行の場合は根抵当権の実行までありうるということまで話をしたとすれば、被告人らがそのことを承知したうえで(前記のとおり四か月の間に一億〇四一〇万円を弁済しなければ、債務不履行となる。)同じく同証人の供述の如く被告人らが『すんなり』(署名)押印したとは考え難いこと、(4)本件売買契約では、被告人は信認金、連帯保証人及び落札保証金以外、特に担保の提供を要求されていなかつたところ、被告人の債務支払能力は楽観を許さない危険な状態にあると認識していた中村、岩永の両名としては、債権保全措置として何としても抵当権等により担保を確保しておく必要があつたことを併せ考えると、被告人があわびの取引に携つていた業者であつたことを考慮しても、本件確認書、本件不動産に対する根抵当権設定契約書等作成の際の状況に関する証人中村太郎、同岩永正人の当公判廷における各供述は信用し難く、被告人及び証人松永栄子の各供述の方が信用できるものというべく、これによれば、本件確認誓約書、右根抵当権設定契約書作成の際被告人及び妻栄子が『そんな(本件確認誓約書記載のような)金額は支払えない。』と言つたのに対し、中村、岩永両名が被告人らに『形式的ですたい。』と言つて(署名)押印を求めたものと認められ、右言辞により、被告人らをして(署名)押印は形式だけのことであり、その約定どおりの金額の支払を要求されたり、不履行をしても根抵当権を実行されたりすることはないかのような錯誤に陥れて本件不動産に対する根抵当権設定をさせたという詐欺の成立する可能性を否定し去ることはできない。」と説示しているが、原判示第三の三の2の(1)の右説示については、前認定の本件売買契約によると、予定生産量の三〇パーセント増の範囲内で買主はその全部を買い取る慣習があり、その代金は、出荷を受けた都度(受領後五日以内に)支払うべき約定であるから、本件確認誓約書の債務総額は、右の契約を基礎にして、六月末までの被告人に対する出荷予定の分までをも含めた概算上のものにすぎず、現実の取引高が、生産予定量より少ない時は当然修正を受けるべきものであるし、また、前認定のとおり、被告人は、本件確認誓約書作成の約一週間前に、岩永に対して、以後の出荷分は受取れない旨の電話連絡をしているが、自己の予想に反して、あわびの市場価格が下つたことを理由に、本件売買契約を一方的に取り消し得ないものであることは、本件売買契約の性質上当然であつて、被告人も、取引業者の一員として、そのことを充分知つていたはずであり、被告人が前認定のとおり右電話をして間もない時期に、本件確認誓約書記載の債務総額を承認したからといつて、いささかも不自然なことはなく、このことをもつて、証人中村太郎、同岩永正人の各供述の信用性に疑いがあるとするのは当を得ないものであり、同第三の三の2の(2)の右説示については、前認定のとおり、本件確認誓約書の内容は、五月から八月までの四か月間に一億〇四一〇万円全額を、五月に七八〇万円、六月に一一四〇万円、七月に三八〇〇万円、八月に四六九〇万円という方法で分割して支払うというものであるが、被告人は、本来ならあわびを受け取つた都度、受領後五日以内に支払うべき業務があるのに、これを受領期限の二か月後である八月までに、しかもその大部分を台風が予想されあわびの値上りが期待される七、八月にかけて支払うというものであるから、被告人にとつてはむしろ有利な内容であり、証人中村太郎、同岩永正人の原審公判廷における各供述によると、各月の分割払の金額は、被告人の販売計画に従つて、決められたものであることが認められ、被告人自身が台風による値上りに期待をかけていたことは、右各月の分割金額によつて歴然としており、被告人に弁済可能性がなかつたとはいえないから、その実現可能性に疑問があるとして、証人中村太郎、同岩永正人の各供述の信用性を否定することはできないし、同第三の三の2の(3)の右説示については、前認定のとおり、本件売買契約は、買主において将来の一定期間のあわびの市場価格を予想して、入札、落札して締結されるもので、かつ、あわびの生産量は、海の天候によつて左右され、その市場価格の変動が激しいものであるから、多分に投機的な性質を有し、被告人は、あわびの取引業者として、市場価格の変動によつて多大の利益を挙げたり、又は大きな損失をこうむることがあることを十分知つていながら、右の投機的な性質を利用して、昭和四七年以来あわびの取引をして本件売買契約締結まで順調に利益をあげてきたのであるから、被告人があわび代金支払のためにその全財産について担保権を設定したとしても、それが、証人中村太郎、同岩永正人の各供述の信用性を否定する事由となるとは考えられないし、同第三の三の2の(4)の右説示については、当時被告人の債務支払能力が楽観を許さない状態にあり、それを認識していた中村、岩永の両名が、その債権保全措置として、本件建物について抵当権を設定するなどの担保を確保したいと考えていたとしても、それは、債権者側に立つ者として当然のことであつて、そのことだけをもつて、右両名が被告人に対して欺罔行為にまで及んだと推測することはとうていできないから、原判決が証人中村太郎、同岩永正人の各供述の信用性を否定する理由はいずれもこれを首肯することができず、かえつて、右証人両名の各供述は、前認定のとおり、本件売買契約の性質や、本件確認誓約書の内容が被告人にとつて有利なものであつたことなどに照らすと、いずれも、不自然な点はなく、十分信用できるものであり、これらに反する証人松永栄子及び被告人の原審公判廷における各供述は、いずれも信用できないものであると認められる。

以上のとおりいずれも信用性の認められる証人中村太郎、同岩永正人の原審公判廷における各供述を含む原審並びに当審において取り調べた後記の「(証拠の標目)」の項の各証拠に、当裁判所において認定した前示1ないし8の各事実を総合すると、

1  被告人の所有名義であつた長崎県芦辺町諸吉本村触字白橋田一八〇四番三一宅地九四・一八平方メートルについては、昭和四四年一二月八日銀行取引契約の同月一五日設定契約を登記原因とし、債権額を金一五〇万円、債務者を被告人、根抵当権者を株式会社十八銀行とそれぞれする同月一五日受付の乙区順位番号一の根抵当権設定登記が経由され、同じく被告人の所有名義であつた右白橋田一八〇四番地三一家屋番号本村触一八〇四番三一木造瓦葺二階建居宅床面積一階五二・三三平方メートル、二階三七・〇五平方メートルについても、昭和四〇年四月二三日金銭消費貸借同日設定契約を登記原因とし、債権額を金五二万円、連帯債務者を被告人及び松永栄子、抵当権者を住宅金融公庫とそれぞれする同年五月六日受付の乙区順位番号一の抵当権設定登記及び昭和四四年一二月八日銀行取引契約の同月一五日設定契約を登記原因とし、債権額を金一五〇万円、債務者を被告人、根抵当権者を株式会社十八銀行とそれぞれする同月一五日受付の乙区順位番号二の根抵当権設定登記が経由されているから、被告人及び被告人の妻松永栄子は、前記の本件建物等についての根抵当権設定契約締結当時、根抵当権及び抵当権に関する知識を十分に有していた。

2  本件建物の登記簿上の表示は、長崎県壱岐郡芦辺町諸吉本村触字棚江二一七八番地七家屋番号二一七八番七木造瓦葺二階建居宅床面積一階一三一・三一平方メートル、二階七〇・八〇平方メートルである。

3  本件建物等についての前記根抵当権設定契約は、これに対する被告人及び右松永栄子の十分なる知識、了解のもとに、締結されたものであり、しかも、それは、県漁連側の詐欺による被告人の意思表示に基くものではなかつた。

4  そして、被告人は、昭和五五年三月一二日、自宅である本件建物において、前記のとおり執行官山口哲治から本件建物等の引渡しの履行を勧告されるや、これに激昂し、本件建物に対する所有権がすでに県漁連に移転していることを熟知しながら、手斧でいきなり本件建物内八畳の間の入口両側の二本の柱に切りつけて、その二本の柱にそれぞれ一か所の傷をつけ、これに身の危険を感じた右執行官が前記不動産引渡命令の執行を事実上一時中止して本件建物から立ち去つた後も、なお興奮さめやらず、更に、右手斧で同八畳の間の床柱に切りつけ、これに長さ約二一センチメートル、深さ約一・五センチメートルの傷をつけたほか、本件建物内の柱及び床面など一八か所に前同様の方法で傷をつけた。

5  被告人は、本件建物がすでに県漁連の所有であることを知つていたからこそ、右のとおり本件建物を手斧で切損し、前記執行官に対しては、「今すぐ出てくれと言われても困る。今年の一〇月まで待つてくれ。」と申し入れたものであつた。

以上の各事実を認めるに十分であつて、右各事実を総合すると、県漁連所有の本件建物に対する被告人の建造物損壊の本件公訴事実は、優にこれを肯認することができる。被告人の原審並びに当審各公判廷における供述、証人松永栄子の原審並びに当審各公判廷における供述、被告人の司法警察員(二通)、検察官に対する各供述調書、長崎地方裁判所昭和五〇年(ワ)第三二七号事件の第五回口頭弁論調書中被告である被告人の本人調書写し、同第三二七号事件の第九回口頭弁論調書中被告松永栄子の本人調書写し及び弁護士上田国広作成名義の取消通知書と題する昭和五八年四月一二日差出しの内容証明郵便写し中右認定に反する部分は、いずれも、前記各証拠、すなわち、後記の「(証拠の標目)」の項の各証拠に照らして信用することはできない。

そうすると、県漁連の被告人らに対する詐欺の存在を前提とする(すでにその前提において理由のないことは、前示のとおりである。)、被告人の詐欺による意思表示の取消しの有無について判断をするまでもなく、本件公訴事実につき犯罪の証明がないことに帰するとして、被告人に対し無罪の言渡しをした原判決は、証拠の取捨選択と価値判断を誤り、その結果事実を誤認したものであつて、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない。論旨は理由がある。

それで、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書に従い更に次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五五年三月一二日、長崎県壱岐郡芦辺町諸吉本村触二、一七八番地七所在の自宅において、自己が居住し長崎県漁業協同組合連合会(代表者会長理事住江正三)が所有する木造瓦葺二階建居宅一棟の床柱に手斧で切りつけて、これに長さ約二一センチメートル、深さ約一・五センチメートルの傷をつけたほか、同居宅内の柱、床面など合計二〇か所を同様の方法で切損し、もつて、前記連合会所有の建造物を損壊したものである。

(証拠の標目)(省略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法二六〇条前段に該当するので、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役六月に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予し、原審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

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